東海道線で通勤できない日誌~Season 5~

これから東海道線で通勤ができるんだかできないんだか…

#ウマ娘 第10話は完全なる #ツインターボ 回

#ウマ娘 第10話は完全なる #ツインターボ 回でした。

私にとってのツインターボオールカマーツインターボ
常日頃大井で競馬を見ていた私はハシルショウグン目当てで見ていたオールカマーで、その逃げに度肝を抜かれて一気にファンになったのがツインターボでした。

でも、しっかりと勝ち切ったのを私が見たのはは上山の初戦で勝ったその時だけで、あとは兎に角スタートから飛ばして結局逃げつぶれるって、レースだけだったんだけど、ね。

ツインターボの死を知ったのは、当時住んでいた和歌山からロングドライブで行こうとしていた福岡の途中の倉敷…しかもコンビニで買ったスポーツ新聞の記事の片隅。

なんだかその死がすごくショックで立ちすくんで、その日は全然運転する気分にならなくって、結局倉敷で一泊した記憶があったりします。

今考えてみても、ツインターボの大逃げにそんな意味なんてあるはずないんです。
きっとそれなりに臆病な馬で、逃げることでしかレースにならなくって、他に比べたら小さな馬体でそうじゃなくっちゃレースにならなかったんだろうなって、多分それくらいの意味しかなかったんだろうなって思います。

それでも私の当時の心境というのでしょうか…うまくいってなかった大学生活から逃げ出したかったその気持ちとか、なんだかそういうことをツインターボの逃げに反映したくって、オールカマーでの大逃げがとにかく強く印象に残っていて、私もそこから大逃げできれば…だなんてね、思ったりしていたことを今も覚えていて、ね。

それは競走馬に自分を託していた、寺山修司さんに強く影響を受けていたことなんだろうと、50を目前にした今にして改めて確認していて。

だって、競走馬なんて私の気持ちだなんてお察しして走るわけないじゃんね…苦笑

でもそれでもあの時とにかくなんだかわからないけど何かから大きく逃げていたツインターボに託すしかなかった、自分自身を反映させるしかなかった人たちがいて、私自身がその一人だったのは確かなんだよね。

それは今となってもそうで、行きがかり上背負わされている管理職の責務もそうだし、父親としての立ち居振舞いもそうなのかもしれないのだけれど、でもそれを甘んじて受け入れられているのは、あの時のツインターボがわけもわからずにとにかく先陣切って走り続けたってその姿があったこそって、今でも思っています。

しかしそんな私の思惑と関係なく… #ウマ娘 の #ツインターボ は、トウカイテイオーと一方的にではあるにしろ戦いたいという気持ちで全力を尽くして走っているのです。それは私や…寺山修司さんが描いた逃げ馬像ではなく、純粋に誰かのために全力を尽くして走りたいっていう新しい #ツインターボ の姿を描いていて、実はそれが本来のツインターボなのかもしれないと、ツインターボが死んじゃって随分とたった今、だらだら書いている私の心境、なんですよ…はい…なんだかだらだら書いていて私自身微妙な気持ちになりましたよ…