東海道線で通勤できない日誌~Season 5~

これから東海道線で通勤ができるんだかできないんだか…

安倍元首相や安倍元首相支持者に対するマスコミの認識のズレが怖い

安倍元首相の国葬賛否に欠ける「英霊崇拝」の憂慮

国家が悲劇の個人の死を弔うことの意味は何か

https://toyokeizai.net/articles/-/609162

 

記事の内容に興味深い部分と、そこはどうだろうという部分があったのでメモ。

「英霊崇拝」という部分については冷静に書かれていてうなずける点も多かったのですが、それが安倍元首相、そしてそれを評価する人たちに対する認識のズレと今のメディアやSNSでの言論に関する状況、ひいては統一教会に対する評価についても繋がってくるのではないのかと、この記事を読んで感じました。

 

林教授の「故人の遺志」に対する評価はまさにそのとおりだなと。

『本人に真意を確かめることのできない「故人の遺志」は、生前の主張より強靭な生命力を持つ。死んだ人に真意を確認することなどできないと皆がわかっているから、「故人の遺志」はいかようにも解釈される。』

 

これは、まさにその通りだなと思っています。先の大戦でもそうですが、戦争を避けるためには、国際関係の強調が必要だった満州の共同開発について、

 

「十万の英霊と二十億の国帑」

 

と、日露戦争の犠牲を無駄にするなという理由で満州について冷静な判断ができなくなってしまい結局戦争に突入してしまいました。いろいろな事件の遺族運動でもひょっとしたら故人はそんなことなんて関係なく「美味しいものを食べてほしい」「私のことはそっとしておいてほしい」と思っていたのかもしれないのに(これも私の想像でしかない)故人の意思を理由にその運動をやめられなくなってしまうということは、よくあることなのかなと思っているところです。

 

ひょっとしたらその運動が自分自身の存在意義になっているのかもしれない、とも。

 

なので、私達は安倍元首相の意思とは関係なく、安倍元首相が取り組んでいた経済政策や国防に関する諸問題についても、その施策について最善だと思うのであればその方向ですすめるよう主張するし、そうした方向性を持っている政治家さんを応援しようと考えたほうが良いのではないでしょうか。

 

ただ、毎日新聞の澤田記者と林教授がどうしても安倍元首相、ひいては安倍元首相を支持する層に対するバイアスのかかった目線というのが、この記事のテーマになっている「故人の遺志」について何かこうそうじゃないんだよなぁ…という感じになっちゃってるんですよね。

 

このへんとか…

 

安倍氏の政治的遺産の美化につながるのではないかと考えられた。アジア太平洋戦争や植民地主義の過去に肯定的な意味を与えたり、平和憲法を改正したりするような政治的動きへの感情的な支持が高まるのではないかという憂慮」

 

うーん…そうじゃないんだよなぁ…っていう。

安倍元首相の支持者の気分を一番最適に表現している記事は、丹羽薫さん(@NIWA_KAORU)の「“かわいい安倍ちゃん”の作り方」でしょう。

https://note.com/niwakaha/n/nfc06c7f7cbca

 

有料部分をぜひ読んでいただきたいのですが、安倍元首相を「かわいい」ものとして認識しているがために、安倍元首相に関するすべてのものを憎悪し批判している既存メディアやいわゆる「リベラル」な人たちが「強者」であり、安倍元首相が「弱者」と、ひっくり返って認識してしまっているが故の安倍元首相の支持の熱さであり、追悼の行列、そうした気分だったと…そういう内容で、だからこそ若い世代にそうした支持者が多いと私も感じています。

 

澤田記者と林教授の記事にあるような安倍元首相の歴史認識をもとに支持しているという人々はある一定層はいるとは思うのですけれども、それだけで支持している人が主ではないということは言えるのではと。“政策と調査”の20号に掲載されている年齢別支持率のグラフでも高齢者より若年層に人気があることが見て取れますし、朝日新聞世論調査で安倍政権を評価する理由について、外交安全保障、経済政策が上位に来ていることもその裏付けの一つかと思います。

 

※政策と調査 20号

http://ssrc-saitama.jp/content/files/PDF/PR_No.20_Horie.pdf

※安倍政権を「評価する」が71% 朝日新聞世論調査(2020年9月3日 22時30分配信記事)

https://www.asahi.com/articles/ASN937F3RN92UZPS005.html

 

ちょっと話からは離れますが、毎日新聞系のネットメディア、withnewsの記事で安倍政権の支持率が最低で特に50代60代女性が最低というのがあったのですけれど、もろワイドショーの影響を受けてるってのが見て取れて、まだある一定層に対してテレビメディアの影響は大きいんだなって改めて感じました。

 

安倍内閣にそっぽ向いた人 世論調査が示す「支持率最低」の中身

https://withnews.jp/article/f0200602001qq000000000000000W0di10101qq000021236A



こうしたズレが起きているからやっぱり結論もちょっと変で、安倍元首相の”国葬”について、

 

「帝国だった時代の日本を懐かしむ声を堂々と上げていた安倍氏の死を悼み、「国葬」を語る日本らしくない過剰な哀悼という大きなうねりを見て、衰退した帝国のかつての栄光に対する「ポスト・コロニアルな憂鬱」を感じるとしたら、それは行き過ぎた解釈なのだろうか。」

 

と、記事を締めていますが安倍元首相の支持層がそうでないことは明らかなのに何故か安倍元首相は懐古主義者であり国粋主義者であるためにその点を支持している人たちが過剰な哀悼を…という〆になっていて、行き過ぎた解釈なのだろうかと言われても「はい、行き過ぎた解釈です」としか言えなくなってしまいます。

 

繰り返しになりますが、第二次安倍内閣がそれなりに長期間支持を受けていたのは、外交・安全保障、経済政策が大きな理由です。外交面では先のペロシ米下院議長が台湾訪問に際して「自由で開かれたインド太平洋」と安倍元首相が提議した言葉でその意義を表現したように、安倍元首相が残した外交面での功績は私達が思っている以上に大きなものがありそうです。経済政策では就業者数が増加し失業者数が減少、自殺者も減ると、目に見える成果を残すことができました。アベノミクスを完全に実施できず、金融政策のみで止まってしまい財政出動も道半ば、そのために成長戦略もうまくいかずと、もし安倍元首相を批判するのであれば財務省改革が出来ずアベノミクスを完遂できなかったことを指弾すべきだと考えますが、記事にあるような懐古主義者的な部分にフォーカスしてしまうということが、悲劇であり喜劇でもあるのでは、と。

 

SNS上で冷静に安倍元首相を支持する人たちって”リベラル”だなって感じています。いわゆる古式ゆかしい”ネトウヨ”と呼ばれる人たちもそう。旧世紀から2ch含めて言われてきたことですが”ダブスタ”を極めて排除しようとするとどうしても”リベラル”なものになってしまう。なので旧統一教会の扱いについても、何が何でも排除という方向でなく、憲法に書かれている信教の自由との関係性は本当に大丈夫なのか…オウム真理教の時との法運用との比較は?大本教の弾圧を認めるのか、そもそも創価学会はいいのか…など、いろいろと考えると旧統一教会だけを排除することって本当は難しいのではって、感じるくらいは”リベラル”です。だって、ダブスタは嫌ですから。

 

でも、澤田記者と林教授の記事にあるような安倍元首相、安倍元首相に対する支持者の認識のズレがあると、安倍元首相や安倍元首相に対する支持者が懐古主義者で旧統一教会の支持者でもあり…だから創価学会やましては幸福の科学以下の信者数しかない旧統一教会を過大に評価してしまっているのではと思うのです。

 

もちろん法律に反する違法な献金はダメに決まってます。

 

消費者契約法4条3項6号の「消費者に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示してその不安をあおり、当該消費者契約を締結することにより確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げること。」というような規定を活用してどんどん違法献金を取り締まるべきです。

 

その一方で、高額な戒名ってどうなんでしょうね?っとか、統一教会以外の宗教法人に対しても同様に対処すべきなのではとか、旧統一教会の信者が清掃していた道路の看板を消すことに公平性はあるのか?っとかね、思うんですよ、信教の自由は大丈夫?って。私は敬虔な神道徒ですから(いろんな神社にお参りに行くという敬虔さを持つ)次は神道の番では?迫害されるかも、神道政治連盟批判の影響で…と思うんです。

 

それが起きてしまうのは、マスコミやいわゆる”リベラル”な皆さんによる安倍元首相と安倍元首相の支持者に対する認識のズレが大きな原因なのではって、感じています。