東海道線で通勤できない日誌~Season 5~

これから東海道線で通勤ができるんだかできないんだか…

在宅勤務モラトリアム

このコロナウィルス禍、ズゴック(ⓒ喜屋武ちあきさん)ストレスたまるのだけれど、少しずつこの状況に慣れてくるとこれかこれでいいんじゃないのか?っと思う部分も出てくる、不謹慎なのは承知です、はい。

多分、戦前…いつの戦前だって言われると思うのだけれど、敢えて言う大東亜戦争の前も多分、そんな感じだったんだろうと思います。

なんてのかな…非日常に慣れていく大衆っていうのでしょうか…それはそれでアジャストしていっていて、それが無くなることを惜しむ気持ちもあるのではと…ただ、戦前は急な玉音放送で日常が変わったので、それを惜しむ気持ちもなかったのでしょうけれども。

 

コロナウィルスの感染拡大、政府の施策はともかく、僕たち国民は法的に強制されているわけではないのにも関わらず、ほんとに"自粛"を貫き、他国も羨むような成果を得ることができました。びっくりするくらい感染者の拡大を防ぐことができたのは事実です。ただ、医療の手が回らず、不幸にもお亡くなりになられた方がいらっしゃる方が他国と比較して少なく済んだといえどもいらっしゃることも事実で、感染症の拡大って、ミクロで見ると不幸なことなんだなって、やっぱり実感します。

 

その一方で…このコロナウィルスの感染拡大禍は生活の様式を革新的に変えました。私事で恐縮だけれど、会社に行かずともある程度仕事ができるようになったのも事実ですし、家にいることで家族ともコミュニケーションが増え、なんか関係が良くなったかも?っと思ったりとか。会社に行かない=満員電車に乗らなくていい=帰宅も遅くならない、ってことで、仕事終わりで、1時間半ウォーキング、毎日1万歩以上歩く日が多くなって、体重がこの2カ月で2キロ以上痩せたりとか、想定外の効果があったんですよね。

っとなると、なんかこの期間が終わってしまって…日常に戻ることに対して"ネガティヴ"な気持ちになる自分もいるんです。もう少しこういうシンプルな生活が出来る時間が続かないかな…って。それはもう、この20年以上のサラリーマン生活、そして、ここ数年の中間管理職生活でわかりきっているのですけれども、それでもやっぱり、この閉ざされた生活空間、仕事空間ということに慣れてしまい、これが継続することを願う自分もいたりするんです。

 

ただ、まぁ、そんなことを考えていても仕方ないことということは重々承知、なわけで、会社と話す中で、3出2在宅、くらいのペースで仕事ができないかと、調整したいなって、考えている今日この頃なのです。